KIFMEC閉院に思うこと

残念ながらKIFMEC再建のメドはつきませんでした。

移植することでしか生きる道を見つけられない病気を抱えた患者さんにとっては最後の望みをつなぐところであったと思います。

 

移植手術ができる病院は限られています。大学病院など大病院と言われるところですが、特に大学病院は患者さんを見ることよりも研究に重きを置かれているように感じます。

病状が重篤な患者さんや合併症を抱える患者さんなど手術をしても成功率が低ければ患者さんがどんなに希望しても手術を受けることができません。手術の成功率が病院の実績として評価される以上、あくまでも手術をするかどうか決めるのは病院側です。

そのまま待てば死亡率は100%、手術を受けることで死亡率はいくらか下がりますが0%にはなりません。同じ手術をしても患者さん一人一人の状態は異なりますので一律に何%ということもありません。

手術を回避することで病院側の評判が下がることはまずないでしょう。しかし、手術を受け入れた結果、残念ながら患者さんが亡くなった時、執刀医はもとよりその病院の責任を問われます。そこに医療過誤がなくとも、です。

 

マスコミは医療事故と医療過誤の区別なく報道します。

下記のサイトに医療事故と医療過誤の説明があります。

 

私が手術室にいたわけではないので、そこで何があったか?までは知る由がありませんが、手術を受け残念ながら亡くなられた遺族が感謝の意を表し、寄付をし、継続を望んでいたということから考えると、そこに医療過誤があったとは考えにくいと思います。

 

しかし手術後すぐに何名が亡くなった、とセンセーショナルに書き立て、そこで働く医師に問題があったかのような報道がされたことは問題ではないでしょうか?

何件かの症例は助けられた可能性がある、というならばその専門家はなぜ患者を受け入れなかったのでしょうか?後からあれこれ言うなら素人だってできます。ビール飲みながら監督気分で野球を見ているおっさんとなんら変わりません。

民間の病院に市が再建費用を出すことはできない、というならばなぜバブルがはじけた頃民間の金融機関に多額の税金が投入されたのでしょうか?国と市は違う、大手の金融機関が潰れれば経済が混乱する、など理由づけされるかもしれませんが、民間企業に税金が投入されることには変わりありません。

 

自分たちが見捨てた患者さんを小さな民間病院が助けたとあっては、自分たちの存在意義、利権が奪われることを嫌がった専門家が出ようとした杭を打ちつけた結果がこれです。行き場をなくした患者さんたちが最後に頼ろうとした病院を閉院に追い込むことができ、さぞ満足されていることでしょう。

 

医師や看護師、その他医療に関わる専門職の方たちは尊敬しています。

しかし、残念ながらそこに絡む利権に群がる人たちはいるし、ワイドショー的な報道しかできないマスコミには腹立たしさすら覚えます。

高尚な理想を掲げたところで同じ世界で働く人から足を引っ張られてしまう。

閉鎖的な医療界が真に「医は仁術」を体現できるのはいつのことでしょう?